HISTORY OF A COLLECTION COLLECTION WITH CIVIC COMMITMENTS |
20 世紀美術の軌跡 |
本展は、ドイツのルートヴィヒ美術館が所蔵する、20 世紀初頭から現代までの優れた美術作品を紹介する展覧会です。 ケルン市が運営するこの美術館のコレクションは、市民のコレクターたちによる寄贈を軸に形成されてきました。 |
会期: 2022 6.29 [Wed.]~ 9.26 [Mon.] 東京展は終了しました。 |
'2022 6_28 「ルートヴィヒ美術館展 20 世紀美術の軌跡―市民が創った珠玉のコレクション」 のプレス内覧会風景と、図録、「PRESS
RELEASE」などからの抜粋文章です。 |
「ルートヴィヒ美術館展」 |
20 世紀の 100 年。 |
未来を買ったコレクターたち。 |
「ルートヴィヒ美術館展 20 世紀美術の軌跡―市民が創った珠玉のコレクション」 図録、Press Release、プレス説明会、他よりの抜粋文章です ― |
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「ルートヴィヒ美術館展 20 世紀美術の軌跡―市民が創った珠玉のコレクション」 【見どころ 】 |
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展示構成 (図録・抜粋文、概要説明、他でご紹介しています。) |
'2022 6_28 「ルートヴィヒ美術館展 20 世紀美術の軌跡―市民が創った珠玉のコレクション」 のプレス内覧会風景と、図録、「PRESS RELEASE」などからの抜粋文章です。 |
画像をクリックすると 「Chapter 2: ロシア・アヴァンギャルド―芸術における革命的革新」 がご覧いただけます。 |
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Chapter 1: ドイツ・モダニズム―新たな芸術表現を求めて |
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左・cat.016 ウィルヘルム・レームブルック(1881-1919) 《振り返る少女のトルソ》 1913/14 年 着色された人造石 高さ: 95.0 cm ルートヴィヒ美術館/中・cat.018 パウル・アドルフ・ゼーハウス(1891-1919) 《山岳の町》 1915 年 油彩/カンヴァス 100.0 x 77.0 cm ルートヴィヒ美術館 /右 ・cat.020 ワシリー・カンディンスキー(1866-1944) 《白いストローク》 1920 年 油彩/カンヴァス ルートヴィヒ美術館 |
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左・cat.016 ウィルヘルム・レームブルック デュッセルドルフの工芸学校と芸術アカデミーに学ぶ。 1910 年パリに移り住み、マイヨールから多大な影響を受け、一方前衛的・抽象的傾向の作家たちとの交流から人体造形に深い精神性を結びつけた独自の作風を確立。 本作は コントラポストの形式で後ろを振り返る頭部と前へ踏み出そうとする脚部を胴体部分が調和的につないでいる。 / 中・cat.018 パウル・アドルフ・ゼーハウス 1911-14 年マッケのもとで研鑽を積んだ。 この間、フォーヴィスムやキュビスム、イタリア未来派など様々な芸術潮流から影響を受けた。1913 年からボン大学とミュンヘン大学で美術史を学び、 1918 年にボン大学で博士号を取得した。 肺炎がもとで 27 歳の若さで突然逝去した。 本作は背景が幾何学的に構築されている一方、橋やその上を歩く人々は具象的に描写されている。/ 右・cat.020 ワシリー・カンディンスキー 20 世紀初頭の抽象絵画の創設者のひとりであるロシア出身の画家。 1921 年、再びドイツに渡り、バウハウスに着任して旺盛な活動期を迎えた。 本作品は、1933 年にナチズムを逃れてパリ郊外に移った後も画家の手元に残され、妻ニーナが最期まで所蔵した。 |
画像をクリックすると 「Chapter 4: シュルレアリスムから抽象へ―大戦後のヨーロッパとアメリカ」 がご覧いただけます。 |
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Chapter 3: ピカソとその周辺―色と形の解放 |
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左・cat.081 アメデオ・モディリアーニ(1884-1920) 《アルジェリアの女》 1917 年 油彩/カンヴァス 55.0 x 30.0 cm ルートヴィヒ美術館/中・cat.080 マリア・ブランシャール(1884-1920) 《ランプのある赤い静物》 1916-18 年 油彩/カンヴァス 118.5 x 74.5 cm ルートヴィヒ美術館/右・cat.077 アンドレ・ドラン(1880-1954) 《サン=ポール=ド=ヴァンスの眺め》 1910 年 油彩/カンヴァス 60.5 x 80.5 cm ルートヴィヒ美術館 |
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左・cat.081 アメデオ・モディリアーニ は、イタリア出身のエコール・ド・パリの画家、彫刻家。 1906 年にパリに移り住み、ピカソなど様々な芸術家と交流する。 本作は、キュビスムの影響が少ないとされるが、ピカソがアフリカの仮面を解釈し、自らの画中にほどこした表現と近いものを想起させる。/ 中・cat.080 マリア・ブランシャール は、前衛美術が隆盛した 20 世紀初頭のパリで活躍した女性画家で、1920 年以降キュビスムから、より具象的な作風に移行した。 本作は、ファン・グリス作品を想起させる幾何学的な形態によって構成されている。/ 右・cat.077 アンドレ・ドラン は、1898 年頃にアカデミー・カリエールでマティスと知り合い、1900 年から同郷の画家ヴラマンクと共同のアトリエを構えて制作したことは、ドランの初期の創作に大きな影響を与えた。 また、同時代の画家同様、セザンヌ作品を熱心に研究しており、ここに描かれた風景にセザンヌ作品を想起させる。 |
画像をクリックすると 「Chapter 7: 拡張する美術―1970 年代から今日まで」 がご覧いただけます。 |
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Chapter 6: 前衛芸術の諸相―1960 年代を中心に ルートヴィヒ夫妻は、ポップアート以外にも、前衛的、抽象的な作品も数多く収集しました。 6 章では、純粋な色彩やシンプルな形、また新しい素材を採用した新しい芸術の諸相を紹介します。 バウハウスで教鞭をとり、1933 年にアメリカに亡命したアルバースは、色彩の相互作用と視覚的効果を探求してオプ・アートの展開に大きく寄与しました。 戦後アメリカで起こったカラー・フィールド・ペインティングは、絵具の物質性を強調する激しい筆致を避けた色面による構成を特徴とします。 その代表的な画家であるノーランドとルイスは、素地のカンヴァスに直接絵具を滲み込ませるステイニングという技法により、純化された色彩のイリュージョンを探求しました。 逆に、ミニマリズムを代表するジャドは、工業的な素材でできた立体を連続的に配置し、極限までイリュージョンを排除しました。 1950 年代後半からデュッセルドルフを拠点に活躍した前衛グループ 「ゼロ」 は、造形作品はもとより、パフォーマンスや出版、国際的な展覧会の企画など多彩な活動を行いました。 ゼロが好んだ反復する構造は、素材の効果ともあいまって、運動や光の感覚を呼び起こします。 写真からは、「より少ないことは、より豊かである (Less is more)」 という言葉を残したモダニズムの建築家、ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエの建築を探求したルフの写真を取り上げます。(MN) |
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・cat.134 モーリス・ルイス(1912-1962) 《夜明けの柱》 1961 年 アクリル絵具/カンヴァス 220.0 x 122.0 cm ルートヴィヒ美術館 | |
・cat.134 モーリス・ルイス はメリーランド芸術大学で学んだアメリカの抽象表現主義の画家。 アクリル絵具をカンヴァスに滲み込ませて制作する〈ヴェール〉〈アンファールド〉〈ストライブ〉の 独自で開発した 3 つのタイプに分類されるステイニング(染め込み)技法で制作する。 本作は 〈ストライブ〉 でアクリル絵具を縦長のカンヴァスに色帯を滲み込ませたものである。 |
画像をクリックすると 「ルートヴィヒ美術館展:ギャラリートーク 長屋光枝 (国立新美術館 学芸課長)」 がご覧いただけます。 |
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「ルートヴィヒ美術館」 (ドイツ・ケルン市) |
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「ルートヴィヒ美術館、市民と繋がる市の美術館」 イルマーズ・ズィヴィオー(ルートヴィヒ美術館 館長) / シュテファン・ディーデリヒ(ルートヴィヒ美術館 学芸員) |
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ルートヴィヒ美術館は 1976 年の創設の折より、コレクターであるルートヴィヒ夫妻に敬意を表してこの名を冠している。 この美術館が収蔵を誇り、
ここを訪れる誰もが、その数え切れないほどの素晴らしい作品、つまり、ポップ・アートから世界第 3 位のピカソのコレクション、ロシア・アバンギャルド、国際的な現代芸術にまで及ぶコレクションを目にできるのも、この夫妻のお陰と言えるのだ。 |
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ルートヴィヒ美術館の設立は、1976 年、ルートヴィヒ夫妻 (ペーター:1925-1996 / イレーネ:1927-2010) が約 350
点の作品をケルン市に寄贈したことに遡る、 この時寄贈されたポップ・アートやロシア・アヴァンギャルドを皮切りに、その後も夫妻は、ピカソや同時代の美術作品を中心に寄贈し続けた。 |
お問合せ:050-5541-8600 (ハローダイヤル) |
参考資料:「ルートヴィヒ美術館展 20 世紀美術の軌跡―市民が創った珠玉のコレクション 」図録、PRESS RELEASE & 報道資料 、他。 |
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